History Concept Mission Technology
History Concept Mission Technology
「20年前思い描いたものが空中コンピューター/AERIAL COMPUTERに」
【始まり】
1985年。「新しい何かを生み出したい」の始まりは学生時代まで遡る。入学後、物理専攻の私は、学部が違う高校の先輩のいる工学部の教室に通い、旋盤を動かしたり電子回路の工作をし、研究のための装置作りを行なっていた。学生時代の起業は、稼ぐためのセールス活動が主になるが、コンピューターの活用や自動化のための装置作りなどもしていた。(小原研スパッタリング装置の前にて。右から2番目)
【縁】
2001年。同級生の縁により、プロダクト生産においてプラットフォームの概念がない時代に、それを世界で初めてテレビで実践し、ソニーの黄金期を築いた鹿児島出身のレジェンドと出会う。その頃私は、自ら手がけるB to Bビジネスにおいて取引先の信用度をホームページなどのコンテンツの更新により判断するサービスの提供を模索していた。(日本国特許第 4719684 号、米国特許 8,341,135 号、中国特許 ZL2005 8 0030013.2 号)。そういうこともあり、レジェンドの紹介でエンタテインメント・ロボットカンパニーのプレジデント(アイボの社長)にシリコンバレーでの活動をアテンドしてもらう。これらのコンテンツの表現方法として球体ディスプレイを持ったコンピュターの構想もこの頃である。(球体ディスプレイPCのイメージスケッチより)
【学び】
2007年。学生時代から始めた事業活動?と言えるかどうか。やみくもに進んでいた私も「はて、これで良いのだろうか?」という思いがつのるようになり、学びの機会を求め大学でビジネスの講義を受けていた。その中で、中小企業大学の門を叩くことに。師から「お前は、一体何をやりたいのだ!」という根源的問いを突きつけられることになり、禅問答のような導きにあった。1年に渡るゼミで私のミッションは「発見や創造のワクワク感を伝える増やす育む」ことだと思うようになっていた。(中企大経営管理コース論文発表より)
【実践】
2012年。私のミッションが、新しい吸音材料とリンクし、いつしか音環境を制御するプロダクト遮音型電話ブース「Bodyphon」を生み出すことになる。このプロダクトには、ディスプレイやスピーカーも付加され、臨場感溢れる体験もでき、さらにはホログラムも視野に入れていた。この最中、元アイボの社長がソニーからカーブアウトした静脈認証の会社を応援したりもしていた。(電話ブースのマスキング装置開発プロセスより)
【空中コンピュターへ】
2021年。静脈認証事業の縁でソニー出身のエンジニアと知り合う。ディスプレイ技術は、FHD、4K、8Kと近年著しく向上したが、TVが商品化されてから約70年、ずっと平面に映像が閉じ込められていた。彼は『鮮明な映像を平面からリアルな空中に解き放ち映像革命を起こす』という信念とビジョンの下、社内ベンチャーを立ち上げ、極めて高画質な空中ディスプレイの開発と事業化を進めていた。私は空中に浮かぶ明るく鮮やかな映像とそれを自由自在に素手で操ることを実際に体験し、強い驚きを受けた。その技術に惹かれ、元々球体ディスプレイのコンピューターを作ろうとしていたこともあり、どうせならディスプレイではなく、新しい空中コンピューティングの世界を拓いていこうということで一緒にやることになった。もちろん空中での静脈認証も。そして200年後、火星基地のコクピットにも。
「20年前、君がやろうとしていた球体ディスプレイのコンピューターが空中コンピューター/AERIAL COMPUTERになったんだな」テレビのレジェンドからイノベーションのバトンを受け取った瞬間である。レジェンドの著書「経営は、1、10、100」の、まだまだ10のところではあるが。(初号機 SOVL-P30 開発プロセスより)